やっぱりシナリオは難しい

日曜日に写真の先生に構図を習いに行ってきました。その時に作品のシナリオについて相談したのですが私の書いたシナリオは良く分からんということになってしまいました。写真の先生は私のビデオの先生でもあり数多くのビデオコンテストでの受賞歴があります。このような偉い先生から良く分からんとサジを投げられてしまったとなると私としては自信があったシナリオですが練り直さない訳には参りません。先生からは私の作品作りの参考となるであろう映像を一つ教えて頂きました。TVF、東京ビデオフェスティバルの大賞受賞作品、「きっと世界は素晴らしい」です。この作品は高校生が作ったもので最後に学校の屋上から大声で男女が叫ぶという内容なのですが、まさしく意味が良く分かりません。三度繰り返して見てようやく意味が分かりました。この作品には無難に学生生活を送っていると見えつつも様々な悩みを抱えた学生が登場します。家族の不和、身体のコンプレックスや恋愛、劣等感なと、自分で解決しようにも解決出来にくい難しい悩みです。最後の叫びは若者の自分の悩みを解決したいけれども解決方法が分からないもどかしさや不満が行動として叫びという形を借りて出てきたのでしょう。だから最後は壁を殴りつける、でも夕日に向かって走るでも何でも行為そのものに意味は無いけれども力を発散させるような行動をすれば良かったのですが、この作者は叫ぶという形を借りて悩める若者の気持ちを表現したのです。続いてプロはどのような表現をするのかという参考にするために伊丹十三監督の「お葬式」を借りてきました。感想としては分かり易い、共感性があるという事でした。先生から受けたアドバイスの一つに独りよがりではなく見ている人に共感して貰えるような作品を作らなければならないというものがありました。お葬式を例にすると人物の気持ちは手に取るように分かり易いし、こういうオッサン居るよな、という登場人物や自分の家の葬式の時もこんな事あったよな、というエピソードが沢山出てきます。しかも見ていて楽しい、映画は娯楽ですから楽しくなければいけません。一流の映画監督の仕事というものは凄いんだと言う事が自分が作品に取り組んでみて初めて分かりました。ここで私のシナリオの話に戻しますが先生からは私の作品が社会問題を取り上げたものであることから分かりやすくする為に説明的な定型の型に従って作ったらどうかという提案があったのですが表現手法に関しては映画のようなストーリーの中に社会問題を絡めた作品にしたいのでお断りしました。映画お葬式の中で大滝秀治扮する資産家の伯父が出棺の時に親族を代表して挨拶するのですがこれは葬儀マニュアルに書いてあるような定型の挨拶です。映画の最後に主人公である山崎努扮する義父を亡くした井上侘助が義母には挨拶するのは無理だろうと言うことでスピーチを引き受ける事になります。ところが血縁も無く故人と深い付き合いも無かった主人公は良い挨拶を思いつきません。それでは今からスピーチとなった段階で喪主である義母がいきなり自分がスピーチをしますと言って主人公に代わり挨拶を始めます。挨拶の内容は省略しますが故人への想い、これからの自分の生き方、葬儀に参列した方々への労いの気持ちを自分自身の言葉で語ります。ここが映画のクライマックスであり感動のポイントとなります。何故このような話をしたかと言うと定型に従って作品を作っても人を感動させるような作品にはなり辛いのではないかと考えたからです。人は大人になればなるほど物事に対して定型の対応を学びトラブルや問題を定型の対応を当てはめて解決できるようになっていきます。ここで「きっと世界は素晴らしい」を改めて見直してみると若者が悩みに関して自分なりの方法でもがき苦しみ真っ正面から向き合っている姿が浮かび上がってきます。「きっと世界は素晴らしい」の素晴らしさとは悩むという行為そのものが若者の特権であり悩みこそが人生の深み、生きている事への感動を与えてくれる元だと解釈しました。私のシナリオ作りに関してもシナリオの定型を使わないと決めたからには、この叫んでいる高校生たちのように悩み、もがき苦しみながらも試行錯誤をしなければなりません。そして苦しくとも自分なりの表現手法を確立し伝える工夫をしなければならないのでしょう。それはどんなに素晴らしいシナリオでも言いたいことが伝わらなければ何も言わない事と同じ結果になってしまうからです。最後にひとつ、「やっぱりシナリオは難しい」ということで締めくくりたいと思います。
(文・浜田)

「きっと世界は素晴らしい」を観られるホームページです。
https://www.youtube.com/watch?v=W4Vq-Dab3tE

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